デヴィ夫人の娘や孫についてまとめました。
この1記事でデヴィ夫人の家族について知り尽くすことができます!
詳細は本文にてご覧ください。
【図解】デヴィ夫人の家族構成
まず、デヴィ夫人の家族構成は下の図のようになります▼
ご存じのとおり、デヴィ夫人はインドネシアの元大統領であるスカルノ氏と結婚しており、一人娘であるカリナさんを授かっています。
そして、デヴィ夫人の娘であるカリナさんはオランダ人の男性と結婚しているのですが、すでに他界。
2023年現在は、カリナさんはデヴィ夫人の孫であるキラン君と二人で生活を送っています。
デヴィ夫人の娘・カリナと孫・キランまとめ!
まず、デヴィ夫人の一人娘であるカリナさんの顔画像が下の写真となります▼
デヴィ夫人の娘であるカリナさんが生まれたのは1967年。
デヴィ夫人が娘のカリナさんを出産したのはインドネシアではなく日本でした。
デヴィ夫人が東京で娘のカリナさんを出産した理由は、1965年からインドネシアで起こったクーデターが原因です。
そして、デヴィ夫人は出産後もクーデターの影響からインドネシアに戻ることはできず、1970年にスカルノ大統領が亡くなります。
なお、デヴィ夫人が2023年にウクライナに行ったのは、デヴィ夫人ウクライナ(キーウ)入りの理由はなぜで何してる?【物資判明】でまとめたような事情があるのですが、クーデターでスカルノ大統領と離れ離れになった苦い経験もあったからではないでしょうか。
デヴィ夫人は命を落とすことを覚悟して娘のカリナさんを連れてインドネシアに戻りますが、結局最期には立ち会えず、娘のカリナさんは父親に会うことはできませんでした。
クーデターが成功してスカルノ一族はインドネシアに住む場所がなくなってしまい、住む場所を失ったデヴィ夫人は娘のカリナさんとともにフランスに亡命。
その後1980年頃にデヴィ夫人はインドネシアに戻ってきていますので、まだ10代の娘のカリナさんも一緒にインドネシアに移住したと考えられます。
そして、デヴィ夫人の娘であるカリナさんはオランダ人男性と結婚し、2023年現在もイギリスに在住。
つまり、2023年イギリスに自宅を構えるデヴィ夫人の娘のカリナさんは、デヴィ夫人に連れられ「日本→フランス→インドネシア→イギリス」と世界を飛び回ってきたのです。
そして、そのオランダ人男性と結婚したデヴィ夫人の娘のカリナさんは、2007年に息子、つまりデヴィ夫人の孫であるキラン君を出産。
デヴィ夫人の孫であるキラン君はイケメンでかわいいと日本でも話題になったことがあります。
そんなデヴィ夫人の孫であるキラン君は小さい頃から世界各国に訪れる機会があったせいか、英語/フランス語/オランダ語/インドネシア語/日本語/ラテン語の6か国語を操る語学力を持っています。
デヴィ夫人の孫であるキラン君がインドネシア語を話せるのは、先ほどデヴィ夫人の娘であるカリナさんがイギリスに自宅を構えていることを紹介しましたが、実はインドネシアにも家があるからです。
もしかすると、デヴィ夫人が1980年ごろに戻ってきて建てた家をそのまま使っているのかもしれません。
そのようなこともあり、現在デヴィ夫人の娘であるカリナさんと孫のキラン君はイギリスとインドネシアを往復して生活しているためインドネシア語を話せるのです。
加えて、サーフィンとスキーが得意で、特にスキーはジュニアの大会で優勝するほどの腕前であるなど、天は2物も3物も与えた典型的な例となっています。
2023年で15歳となるデヴィ夫人の孫のキラン君はすでに社交界デビューを果たし、世界のセレブとしての第一歩を踏み出しています。
日本語も話せるデヴィ夫人の孫のキラン君は、近いうちにデヴィ夫人とテレビで共演する姿が見られるのかもしれません。
ところで、デヴィ夫人がウクライナに行った際、帽子にゴーストアーミーのワッペンがあったことでデ様々な憶測が流れましたが、それは【なぜ】デヴィ夫人の帽子にゴーストアーミーのワッペン!?意味や理由まとめでまとめたような、警護上の理由があったのです。
【まとめ】デヴィ夫人の娘や孫をまとめてみた【家族構成図あり】
今回はデヴィ夫人の娘や孫について、家族構成図を交えてまとめました。
デヴィ夫人の娘はカリナさんで、デヴィ夫人がクーデターで日本に戻っているときの子供です。
その後はフランスやインドネシアを経て、現在はイギリスとインドネシアに家を構えて生活をしています。
また、デヴィ夫人の孫であるキラン君は6ヶ国語を操りスポーツも万能、そして何よりイケメンという文句のつけようのないナイスガイです。
社交界デビューもすでに果たしており、今後は世界を股にかけるセレブとして、名前を聞くこともあるのではないでしょうか。